ニューヨークを駆け足で廻る

 ボストンのホテルを早朝(朝6:00)に出立し、ニューヨークJFK空港に降り立つ。地下鉄を乗り付いでホテルに到着したのは12:30也。ホテルに荷物を置いた後にニューヨーク見学に没頭する。以下は訪れた見学場所を箇条書き。
(0) チャイナタウン
観光前の腹ごしらえ。Leon (Room mate)はコロンビア大学を卒業しており、ニューヨークは庭の様なもの。彼にお勧めのレストランを紹介してもらう。紹介してもらったのは“鹿鳴春”と言う上海料理店。点心がお勧めらしい。ということで、お勧めのSteam Bunとsoupを堪能する。味も値段も言うことナシであるが、中華料理を一人で食べると一抹の寂しさを感じるのはYASUだけであろうか。しかも、お店は満員だったため、6人テーブル(すでに5人座っている)で一人で食べることとなってしまった。中華は沢山で食べるに限るようである。


(1) 自由の女神
マンハッタン島最南端まで地下鉄で赴き、Staten island行きのフェリーに乗る。この船は地元の方が利用する通勤フェリー。しかも料金は無料。観光の説明は無いが、自由の女神の横を通ってくれるフェリーである。自由の女神の姿とマンハッタンの摩天楼の両方を海から無料で満喫することができた。


(2) グランドゼロ
 地下鉄を乗り付いて世界貿易センタービル跡地に赴く。グランドゼロは今も工事中の様相。周りのビルはすっかり新築されているが、ここは5年前から時間が止まっているようだ。 

(3) Empire State Building
 世界貿易センタービル無き後、エンパイヤーステイトビルはニューヨーク一番ののっぽビルに返り咲く。ニューヨーク一番の高所から摩天楼を一望する。圧倒的なビル群を有するニューヨーク摩天楼は圧巻である。しかし、シカゴの摩天楼の方がビルの拠点が集中していること、ハンコックセンター、AONビル、シアーズタワーの100階立てトリオがスパイスとなっていること等、YASU的にはエレガンスに感じられた。とはいえ、マンハッタン等の大部分を凌駕するビル群は一見の価値はあった。


(4) ロックフェラーセンター
 ロックフェラーセンターの真下には有名なスケートリンクがある。氷は既に張られており、カップルや家族連れがスケートを堪能していた。このスケートリンクは浮谷東次郎も滑ったリンク。東次郎曰く、ロックフェラーセンターは”マドンナの宝石ならず。俺様の宝石さ”である。ニューヨークに来るまでは、この言葉を絶対的な力に対する抵抗と解釈していたが、純粋な畏敬なのかな、と思い直すようになった。
http://www8.plala.or.jp/tojiro/tojiro.html
http://www8.plala.or.jp/tojiro/tojiro/said.html


(5) 国連
 既に20:00過ぎ。ラストスパートで国連本部まで足を運ぶ。ここでは写真撮影のみ。

朝9時にMITのChris先生の研究室を訪問する。Chris先生はDavid研の卒業生である。YASUとほぼ同い年であるがMITのAssociate Prof.。実力は相当のものだ。Chris先生とYASUはお互いの研究トピックスについて資料やPower pointを利用した紹介し合う。Chris先生の研究トピックスは数nmの結晶を有する金属結晶粒のサイズを自由に造り込む技術についてであった。先生は開発した技術を利用して世界で始めて逆ホールペッチの法則を実験で証明していた。
後で実験室も見学させて頂く。実験室の装置はYASUの研究室より同程度。Chris先生曰わく“お金を稼げばMass product的な研究データを容易に出すことができる。お金を稼がなければ研究を創造する時間が増える。”
Chris先生の実験室はかの有名なFleming先生が利用していた実験室であった。Fleming先生の実験室は11年前の研究所巡りで見学した場所。全く同じ場所を11年後に見学することになるとは・・・。ちょっとした運命を感じたYASUであった。
Chris先生とお別れした後は、S研のMingさんを訪問し、研究ディスカッションを行う。MingさんはLiving Cellの機械的特性(弾性変形)のモデル化の第一人者だ。S研名物の実験装置を見せてもらいたかったが、残念ながら見せてもらえず。しかし、Mingさんから研究室の最新研究情報を教えて頂き有意義な時間を過ごす。

2つの研究室を訪問させて頂いた後にMIT博物館に立ち寄る。こちらにはMITで開発されたロボットや高速度撮影技術、ロケット開発技術、MITの歴史等が紹介されている。YASUのお気に入りは3次元ホログラフィー技術を利用した3次元骸骨。


無事にMIT訪問を終えた後はVEEお勧めの日本食屋に立ち寄る。“Poter駅前の道を左に2分歩くとモールが見えてくる。その中に日本食屋街がある。”とVEEから説明を受けていた。今度は無事にモールを発見。モールの中には寿司、定食者、ラーメン屋、うどんや等、居酒屋等の日本食街が6,7件集まっていた。シカゴでは絶対に拝めない光景にYASUはしばし感動する。YASUが熟考の上に選んだ今日の昼ご飯はCAFÉ MAMIのとんかつ定食であった。日本で食べれば至極普通のとんかつ定食であるが、YASUには至高のご馳走である。ご飯がちょっと水分を含みすぎていたのが残念。豚カツはつやつやのお米と一緒に食べるのが一番。帰国したらどこの豚カツを食べようか今から悩む今日この頃である。

昼食を堪能した後はハーバード大学に赴き、ハーバード大学校内の雰囲気を楽しんだ後にハーバード自然史博物館に立ち寄る。こちらの博物館はGlass flowerの標本群で構成される”植物学博物館”、恐竜、ほ乳類の骨格、ほ乳類・鳥類の剥製をずらーっとならべた“比較動物学博物館”、南北アメリカ文化遺産(マヤ、アステカ文明、インディアン文化、オセアニア・ハワイ文化等)を紹介する“ピーボディ考古学と民族学博物館”、南北アメリカの鉱石を集めた“地質学博物館”から構成される。YASUは比較動物学博物館と民族学博物館を中心に鑑賞する。
比較動物学博物館にはシーラカンスのホルマリン漬けが展示されていた。TOMOはすでに読売ランドで鑑賞済みとのこと。剥製コーナーには世界のあらゆるほ乳類・鳥類が展示されていた。アルマジロ、ドード等、なかなかお目にかかれない動物の剥製に関心したものの、動物たちのお顔が寂しげであり、どうも・・・楽しく見入るべきものでは無いようである。ピーボディ考古学と民族学博物館ではアステカ文字の存在をしり驚嘆する。アステカ文字の部首は一つ一つが丁寧な絵になっており、字そのものがアートの様である。アートとしての文字を確立したアステカ民族と、その文字を解読した先人に畏敬の念を抱かずにはいられないYASUであった。



夜はVEE推薦のタイ料理”PadThai”を見つけるべくバークリー音楽院周りを再度徘徊する。音楽院から50m程外れた道沿いでVEEお勧めのタイ料理屋を発見する。レストランと言うよりもタイ版のファーストフード店の様である。ここではチキン炒飯とタイビールを注文する。VEEの学生時代のお気に入りのお店と言うこともありお値段はお手頃。$7あればお腹は満たされる。YASUがVEEに田中屋(YASUの母校近くの定食屋)を紹介する様な間隔かな?当然、味は昨日のタイ料理屋の方が上。お店にはバークリーで授業を終えた学生が安いタイ料理をほおぼっていた。しばしの学生時代回帰を堪能したYASUであった。

ホテルへの帰りにはThe Mary Baker Eddy Libraly(キリスト教一派の総本山)を散策する。

追伸:本日のホテルはCopley House。お部屋はキッチン付きのスイートであった。LAN環境も快適。お値段相応のお部屋である。朝5:30には部屋を出発しなければならないことがちょっと悔やまれるような豪華さであった。1日・2日ともにバスタブにお湯を張り、久しぶりの湯船を堪能した。

バークリー&ボストン美術館

 アメリカ滞在も後わずか。MITを訪問することを主目的にボストンに出発。
 朝5:30起床。8:50にO’Hare発AA1718便にてローガン空港に到着。MITの訪問は明日の午前中。本日の行き先はボストン美術館だ。ボストンの地下鉄はアメリカでも最も古くから営業されているらしい。ということで電車のフォルムはかなりノスタルジック。特に郊外に行くと路面電車に早変わりするグリーンラインの車両は一見の価値有り。

 とりあえず、美術館に行く前に腹ごしらえ。MITでPhDを取得したVEEから予めボストンのお勧めレストラン(タイ料理屋&日本料理)を教えてもらっていた。VEEの説明によると、お勧めのタイ料理屋(PadThai)はバークリー音楽院の正面...。しかし見つからない。代わりにバークリーから見て斜め左にあるBangkok City Restaurauntと言うタイ料理屋に入ることとする。注文したのはPannag カレーとトムヤンクン。Vee推薦のお店とは異なるがお味は良い。シカゴで食したタイ料理屋よりもトムヤンクンはレモンの味が程良く抑えられており、YASUにはベストであった。


 ボストン美術館には11年前に一度訪れている。
http://www.mfa.org/
 11年前の記憶というものはあやふやなもの。正直、モネの“日本衣装の女”と鈴木春信の浮世絵を見たことを覚えている程度。おそらく前回の訪問では鑑賞時間が制限されていたのかもしれない。今回は日本美術、印象派絵画、エジプト・ローマ美術(文明発掘品?)をまとめて反芻してみる。
日本画
展示品は定期的に入れ替えられているらしく、今回は鈴木春信の展示は行われていなかった。目にとまったのはNakagawa Hchiroの仁王像。始めて見た絵であるが、透き通るようで明るい色彩のどっしりとした仁王にが非常に新鮮に感じられた。その他、歌舞伎をテーマとした浮世絵、明治維新時の浮世絵の展示特集等が行われていた。

印象派
“日本衣装の女”と再開すると共に、マネの“・・・”、ミレーの“種をまく人”、ルノアールの“ブージヴァルの舞踏会”等々をゆっくり見入る。アメリ印象派の“”を見るのを忘れてしまったのが悔やまれる。

③エジプト・ローマ美術
一通り見たが、記憶に残ったのはミイラの列。

 夕ご飯は11年前に舌鼓を打った“Unionn Oyster House (ボストンで最も古いレストラン)”と決めていた。地下鉄を乗り継いで、なつかしのお店にたどり着くものの、90分待たないといけないらしい。涙をのんであきらめる。

 気付いたら夜の20時。急いでホテルに戻り、明日に備えて早めに就寝する。
追伸:ボストンの宿(1泊目)はボストンBoston University west駅から歩いて数分のTBB Boston(Tおばさんの家)。
http://www.tbbboston.com/
 日本人のTおばちゃんの経営するTBBである。温かい日本語ときれいなお部屋、快適な無線LANの使用環境は言うこと無し。残念ながら2泊目は満室のため、別のホテルに泊まることになっている。

床屋(三回目)&違反切符

 土曜日の昼過ぎに、書類&書籍を詰めた段ボール(日本に返送)をリュックに背負い自転車で郵便局に向かう。歩道を自転車で走っていると、警官に呼び止められる。
「ここは歩行者専用の道だから。走っては行けない。」
との言葉をかけられると同時に停止を命じられる。

人世初経験。

自転車で違反切符を切られてしまう。罰金は$75也。意外に高い。
警官曰わく、「文句がある場合は市役所に行って陳情をするように」とのこと。
また「文句が無い場合はcheckで罰金を払うか、10月31日の10:00(AM)に市役所に出頭して講習会に参加する必要がある」とのこと。
WEBでチェックしてみたところ、陳情して覆ることはまずないらしい。
また、講習会に参加すると金額は減免されるらしい。
しかしYASUの帰国日は31日なので講習会には出たくてもでられない。ということで支払いいを即断する。ちょっとした出費であるがよい土産話ができたと素直にあきらめる。
早速$75のチェックを作製。月曜日の朝に郵便局に出しに行く予定。下の写真は違反切符のコピー。


 
郵便局の帰りに、こちらに来てから3回目の散髪をするために床屋(Hair)に伺う。
http://www.yelp.com/biz/LI8xbnt7wIM0FY5oij-UCg

リーズナブルな価格設定のアメリカの床屋はすっかりお気に入りである。髭は自分で剃れば良いし、散髪後に自分で髪の毛は洗えば十分である。
郷に入っては郷に従え。
ということで帰国前に最後の散髪を行う。1か月ちょっと前に散髪を行っているので今回は0.5inch程度切ってもらう。下の写真は今日の結果。悪くは無い。

名古屋に帰ったら安い床屋を探そう。やっぱり3800円は高すぎる。

初雪

モントリオールから戻ってきてみると、シカゴも同様の気候であった。10月10日前後からは最低気温が0℃まで下がるようになる。秋と冬がいっぺんに来た様だ。
10月12日の朝にはついに初雪を確認。気温はそれほど低くないため積もることは無かった。雪は間欠的にお昼まで降り続く。Youngcheol(お昼ご飯に行く友達)は1990年前半にNUでPhDを取ったため5年間エバンストンに滞在したことがある。彼の記憶によると10月に雪が降ったのは始めてらしい。昨年は例年に無い暖冬だったらしいので、そのリバウンドが今年来たのかもしれない。
写真は大学居室から降雪具合を撮影した結果。今年3月に同じ様な写真を部屋から撮影したことを思い出す。帰国まで2週間ちょっと。時が立つのは非情にも早い。

モントリオール散策

後半は会議終了後のモントリオール散策について。
① 聖ジョセフ礼拝堂
http://www.saint-joseph.org/
ダウンタウン南西に位置する聖ジェゼフ礼拝堂に行くために地下鉄を乗り継いでCote-des-Neiges駅(ブルーライン)まで赴く。礼拝堂はそこから10分足らず。地図が無くて不安だったが、駅を降りるなりすぐに礼拝堂を発見できた。さすが世界第2位を誇る大きさを誇るドームである。ドームの歴史は比較的浅い。1942年から18年の歳月をかけて建設したとのこと。ドームの上部(礼拝堂)入り口からはモントリオール北部・西部の眺めを満喫できる。残念ながら東部(ダウンタウン部)は山に隠れて拝むことはできず。礼拝堂は白地のコンクリート肌により構築されていた。献身な信者の寄進により必要最小限の作りで建設されてことが推し量られる。コンクリートの白肌はYASUには好感触。


② オリンピック公園
http://www.rio.gouv.qc.ca/index2.jsp?locale=en
1976年に開催されたモントリオール夏季オリンピックメイン会場に地下鉄を乗り付いて赴く(グリーンラインのPie-IX駅下車)。モントリオール開催時、YASUは4才。記憶は全くない。バレーボール男子の活躍を後に知った程度(失敬、バレーボール男子:猫田選手の活躍はミュンヘンオリンピック1972。)。球技場のパネルを見て、一人だけ有名な選手を思い出す。コマネチ。
オリンピック会場にはドーム型陸上競技場と、ドームの幌を支える傾斜塔がそのまま残されている。ドーム型陸上競技場は2004年までEXPOSのホームグラウンドとして利用されていた。残念ながら経営不振により昨年からチームは本拠地をワシントン(Nationals)に移してしまう。モントリオールプロスポーツは現在NHL(カナディアンズ)だけである。ちなみに選手村はマンションとして現在も残されている。小さな競技場(元は何の競技場か不明)もバイオドーム(世界各地の自然をドーム内に再現したアトラクション施設)として現存している。その他のサッカー等の球技場も残されており、モントリオール市民の一大スポーツ施設と化しているらしい。
YASUは傾斜塔を目指す。傾斜塔にはその背を滑る様に移動するゴンドラが設置されており、それ利用して2分程度で展望台に行くことができる。展望台からはモントリオールダウンタウンを含め、モントリオールの眺望を360℃楽しむことができる。
2枚目の写真はゴンドラから傾斜塔の背を撮影。3枚目は傾斜塔から見たダウンタウン。4名目は公園の他の施設(直角三角形の建物が選手村。右下が旧水泳場(現:バイオドーム))。




③ 旧市街
地下鉄を利用して旧市街まで移動。Champ-de-Mars駅(イエローライン)下車。モントリオールの古い建物群を見入る。モントリオール市庁舎から始まり、旧裁判所、ノートルダム寺院へと外観を堪能しながら散策する。下の写真はモントリオール市庁舎。自由ケベック万歳。

ノートルダム寺院セリーヌ・デュオンが結婚式を挙げた場所として有名である。YASUが内部の礼拝堂の椅子に座って疲れた体を休めていると、次から次ぎへと日本人ツアー一行がやってくる。他の散策スポットでは一切日本人を見かけなかった。YASUの散策スポットは日本人にとっての定番スポットでは無かったらしい。
ガイドさんの説明をそっと聞いてみたところ、本礼拝堂はすべて木製で釘は一切利用されていないとのこと。20万円で結婚式を挙げられるが500人以上招待客が必要らしい(何故?)、それでも2年待ちらしい。
本日のモントリオールはシカゴに較べると肌寒く、ワイシャツ・トレーナ(パジャマ兼用)、ウィンドブレーカを着用して丁度良いくらいの季候であった。ノートルダム寺院の中は非常に温かく、うたた寝するには丁度良い場所であった。


ステーキ&McGill大学

10/1-10/6まで国際会議に出席するためにモントリオールに滞在する。Chicago, O'Hare空港から約2時間。モントリオールの人口は320万人を越え、パリに次ぐ第2のフランス語圏とのこと。街の中にはフランス語の看板が立ち並び、英語表記はなかなか見つからない。やっかいなところに来たかもしれない。しかし、マクドナルド、サブウェイ等のファーストフード、もしくはスーパーマーケットでもおばちゃん、おじちゃん達は気軽に英語で会話をしてくれる。中学の授業(地理)で習ったカナダ(カナダ人はバイリンガル)がここにはあった(ケベック州のみバイリンガル圏のようである)。
会議は10/2-10/4まで開催され、10/5は工場見学に参加、10/6にシカゴに戻る予定であった。ところが、3週間ほど前に工場見学のキャンセルを突然言い渡される。飛行機のフライトを変更できなかったため、10/5はモントリオールの町をちょっぴり散策する。

前半は国際会議中についてつらつら書きとどめる。

国際会議10/2-10/4はどっぷり会議の聴講・発表に集中する。10/3に発表を無事に終了し、その日は日本でお世話になっている先生の集まりに混ぜて頂き、ホテルのInformationお勧めのステーキハウス(La Queue de Cheval)にでかける。

http://www.queuedecheval.com/intro.asp

お店の前には分厚い肉の塊がずらっと陳列されている。こちらのステーキハウスは海鮮料理もお勧めとのこと。お店に入ってメニューを眺めていると、牛肉、ロブスター、帆立等々を陳列したカートを我々のテーブルまで持ってきて、当店のお勧め料理を紹介してくれる。我々は前菜として帆立のバター焼き(日本の大判焼き並みの大きさの帆立)を注文し、20oz(約500g)のカンザスステーキをK先生とシェアする。もちろん上等の赤ワインも注文。
全ての料理がYASUの食生活とは超越した味であった。特にカンザスステーキは絶品。3cm以上の厚みを有するステーキはジューシーで、肉汁+塩こしょうの味だけで満喫できる味である。ステーキソースは必要無し。シカゴの名物はステーキであるが、こんな質の肉は食べたことが無い。
ちょっと酸味が利いたワインも絶品である。YASUがシカゴで愛飲している$8の赤ワイン(Fabian推薦)とは異なり酸味に刺激が無い。帆立のお味も言うまでも無し。
お値段は・・・それほど高い訳では無い。一人当たり3桁($)は行かないお値段である。
モントリオールに滞在する機会があれば是非来店をお勧めしたい。


モントリオール滞在中に利用したホテルはHotel Casa Bellaである。地下鉄のPlace-des-Artsから徒歩5分に位置する。お値段は一泊$80(税別)。普通の2,3星ホテルの宿泊料が$120-150/泊であることを考えるとかなりお勧めだ。しかし、1890年に建造されたホテルのFacilityは必ずしも満足する物では無い。まずはインターネット環境。ワイヤレスでインターネットが利用可能とURLに記載されていたから予約を行ったものの、信号が弱くて接続できず。もう一つは寒さ。暖房が付いておらず夜間はちょっと肌寒い。夜はジャンパーを着て寝たものの、最終日にはちょっと風邪気味となってしまう。
http://www.hotelcasabella.com/PagesAng/accueil.htm

ホテルから会議場までは地下鉄で2駅。モントリオールの地下鉄は乗り心地が非常に良い。理由は簡単。車輪にゴムタイヤを採用しているため。シカゴの”L”と比較すると電車も頻繁に駅に到着するし、運行速度も早い。唯一の難点は料金が高いことか($2.5)。
http://www.stm.info/English/a-somm.htm

10/4の午後にはYASUの専門のセッションが終了する。インターネットカフェで久しぶりにメール・ドラゴンズの活躍(M5!)をチェックする。ホテルに帰宅後には近くのMcGill大学を散策する。McGill大学は1821年創立の英語系の大学であり(モントリオールには英語系の大学とフランス語系の大学が共存するとのこと)、キャンパス内には建設当時の重厚な建物が林立している。建物はモン・ロワイヤル公園(ダウンタウン西の小高い丘(山?))の麓から丘の中腹まで分布しており、散策はちょっとした山登りの様なものだ。写真に見られるような、一見お城の様な建物ばかり。ちょっとした史跡に行くよりもよっぽど見応えがある。
http://www.mcgill.ca/